開志国際高等学校に進学を決めたのは、他の進学校にはない新しい教育システムがあり、ここなら希望の医学部医学科に合格できそうだと考えたからです。学校の授業の他に、インターネットを使った東進衛星予備校の講義を受けることで、年度を追うごとに、学力も向上しました。地元の国立大学である新潟大学の医学部医学科に合格できたのは、学校が用意してくれた進学カリキュラムと少数精鋭の徹底したマンツーマンで指導していただいたおかげです。さらに、医学科進学だけでなく、アスリートコースで目標にチャレンジする友人との交流もいい刺激になりました。まだまだ医師という夢の実現には道のりはありますが、将来は外科の医師になり、病気に悩む人を救いたいと思います。
バスケットボール部では、3年生の時に宿敵に勝って、インターハイ出場を決めたことが一番記憶に残っています。大学進学を考えるようになったのは、高校3年生の秋ぐらいでした。「バスケットボールだけでなく、生活態度も学習も」という先生の教えに気づかされたからです。スポーツ推薦を選択せずに一般入試を選んだのも、文武両道を自分なりに追求したかったからかもしれません。受験にあたっては、先生たちの大きなサポートがありました。進学塾にも通わず、有名私立大学に合格できたのも、受験勉強を支えてくれた先生たちがいてくれたからです。自分を信じて頑張れば、バスケットボールと同様に受験でも夢が叶うことを教えていただきました。
地元の福島県ではなく、新潟県の開志国際高等学校を進学先に選んだのは、1期生だったということでした。自分の手で伝統をつくってゆけると思ったからです。入学当初から、目標は日本一でしたが、その目標は残念ながら達成できませんでした。早稲田大学に進学したのは、練習試合をさせていただいた時に、選手一人ひとりが自立していて、いい雰囲気だったこと。そして、プレースタイルも合っていると判断したからです。現在は、オリンピッククラスの選手をはじめ、様々なアスリートとの交流もあり、とてもいい刺激をいただいています。大学では必ず日本一になって、プロ選手か、学校の教員になりたいと考えています。
開志国際高等学校の思い出は、ゴルフ部で厳しく指導していただいたことです。おかげで、プレーも精神面も成長でき、とても感謝しています。ゴルフの場合、団体戦以外は、同級生でも、試合になればライバルです。ライバルでありチームメイトである友人や後輩たちと切磋琢磨できたのは、大きな自信と財産になっています。中央大学では、経営システムを学びながら、ゴルフ部で活動しています。中央大学は先輩たちとのつながりが強く、練習場の提供やアドバイスをいただいています。まずは、リーグ戦で結果を残して、上のリーグへ昇格すること。そして、周囲の意見や情報を聞きながら、明確なキャリアプランを描いていきたいと思います。
小学校と中学校では地元のクラブチームで陸上競技を続けていましたが、他の環境に身をおいてもっと自分を試したいと思い、新潟県の開志国際高等学校を選びました。高校時代は新しいライバルたちとの競争や、練習と勉強の両立で大変厳しく指導していただきました。自立することを教えてくれた高校生活は私にとって大きな財産となりました。立命館大学は、大学女子駅伝を5連覇を成し遂げた強豪です。集まる選手もレベルが高く、高校時代にはなかった身体のことを学びながら自分を高めていくこともできるので、ぜひ駅伝メンバーに入って、チームのために貢献したいと考えています。将来の夢は、これからの4年間で見つけるつもりです。